最近 わかった事がある。
その前に前提として、所詮人間ってやつは、孤独なのだ。
責任や苦痛、努力、成功、全て自己責任。
家族がいても、友達がいても、恋人がいても、結局孤独なのだ。
(これを聞いたら、私の家族や親しい方々は、悲しくなるかもしれない。だが、あえて。)
同時に個人的に、人間不信や劣等感というものは、
どんなに愛されようとも、決して癒される物ではないと思っていた。
私の劣等感は そもそも3歳位から、牛乳ピンメガネをかけていたことから始まる。
そこからたくさんの劣等感が、雪だるま式に膨らみ(コンタクトにしてからも膨らみ)
26歳くらいまでには 巨大な固まりとなった★
だが、しかし。その劣等感は、私に《負けん気》と《持久力》という 副産物を生み出した。
劣等感のおかげ(?)で 私は、逆に明るく元気な奴になった!!
全ては、虚栄を張るためだろう。
無駄に明るく無駄に元気!!
さて、わたしが何、最近を発見したかというと、
劣等感と人間不信は、性格の一部ではない。という事。
ここ最近 たくさんの再会や再連絡があった。
それにより いままで、うやむやにしてきたトラウマに向き合ったり、
これまで生きてきた中で、私を愛して(少々大袈裟!!)くれた人が居たことに気付いたのだろう。
そして雪だるまは暖められ、溶かされたのだろう。
もう一つ。忘れてはならないのは、南青山のSPCAEと代官山のアステリズム!!
数年前から、この2つのお店が 作家として認めてくれたから、
私に自信というものを与えてくれたから。
そもそもだから、劣等感の雪だるまが 転がるのを止めた。
感謝してもしきれない。
雪だるまが居なくなるまで、30年もかかってしまった★
でも、もう劣等感も 人間不信も 虚栄もなくなった☆
明るさと元気は残った!!
でも《無駄な》ではなくなったo(^-^)o
劣等感というやつは 私を最も成長させた力だろう。
そんな、育て親から独り立ちしても ちゃんと成長できるだろうか?(ちょっと不安)
最近 《病んでる》って言葉が、普通通用する。
《病んでる》とは、心が壊れちゃった状態。
今年のはじめ 自殺も多かった。
私自身も数年前まで 少々《病んで》た、一人だろう。
私が ものすごく、すさんだ時期があった。
当時 自分しか見えてなかったから、誰も手を差し伸べてくれない事が腹立たしく思えた。
そこで、人間は孤独という原点に返ってくる。
では、他人にできることはないのか?
それは そこに居てあげる事。
私の居て欲しかった人々は、揺るぎなくそこに立ち続けてくれた。
今だから、わかる。
居てくれたから、自分が完全破壊しなかったのだと思う。
そして、立ち続けていた事の大変さと、救えない大変さを。
今度は私が立ち続ける番だ。私の愛する人々のために。
ねぇ、もの事《その時》がくると驚く程、自然と解決するんだよ。
《その時》が来るまで、私はここに居るよ。