Forja Artistica

なんだかね。
私は作家という仕事をしていながらに、自分の才能の無さ、センスの無さ、不器用さその全てに悲しくなるのですよ。
いつも劣等感でぐしゃぐしゃに押し潰されそうになるのです。
もちろん、「また、こんなカッコイイ作品作っちまった!!」とも思うし。
「最高いいもの作ってる。」って自信もあるのですが、
それでも劣等感はあり続けるのです。

そんな私が鉄に惚れたのは当然だったと思う。
あらゆる金属のなかで《たかが鉄》《ただの鉄》の様に、
ないがしろにする修飾語が最も似合うのは《鉄》だと思う。
ありふれ過ぎて珍重されない鉄。
しかしホントは《されど鉄》文明、人類、生命、地球全ての根源とも言える物質。
鉄に出会って、相性イイナと思った。最初は片想いだった。
それが、最近は鉄に愛されてると感じてきた。
劣等感で潰されそうな時、鉄が、ダマスカスが私に呼びかける。
「菜々!!行こう!!進もう!!
君と私は似た者同士。君は私を心底愛してくれてるだろ?
君には私とトコトン向き合う根性がある。だから君が必要なんだ。
私は君に見たことの無い世界を見せてあげよう。さぁ立ち上がれ!!」

私は鉄に生かされてる、
この仕事を手放したら、私は生きる事すらできないと感じる。
Forja Artistica  古屋 菜々 ==== 海

胸椎硬膜内随外脊髄腫瘍だそうで その2

胸椎って?硬膜ってなんだべ?

胸椎は要するに背骨。ざっと、背骨の上の方、首部分が頸椎。胸部分が胸椎。腰部分が腰椎だそうな。

素人的に解剖図眺めて理解した感じと、医師の説明を総合した知識では、背骨って二つの役割があるみたいね。

身体を支え可動する役割と、脊髄を通し守る役目。

そもそも、言われてみれば脊髄がどこにあるか知らなかった。背骨の内側だろうと思っていたけど、

思っていた内側とは全然違っていた。スクリーンショット 2017-06-20 7.05.20.png            辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書 から画像お借り

上が背骨を横から見た図。下左が一つ一つの骨を上から見た図。

下左の図の輪っかになっている部分、どうやら、ココにチューブ状の硬膜が通っていて、

その中を髄液という液体で満たして脊髄を格納してるそうだ。脊髄は脳からの指令を全身に伝える大切な器官だから、胎児を羊水で守る様に、髄液の中に浮かせてるんだってさ。

私の場合はチューブ状の硬膜の内側に腫瘍ができたそうだ。

そもそも脊髄腫瘍という病気全体でも10万人に1人か2人位の発生率だそうで、あまり多く無いのね。その中でも、頸椎や腰椎に比べて胸椎は更に少ないらしい。

一日かかった診察からの帰り道。多分、この病気と向き合う中で、この時が一番落ち込んでたと思う。

とりあえず、会社に電話して今後の対応を話し合い。

これは、隠し通せないと思い、両親にも伝えた。

人に話した事で心は冷静を取り戻した。もう夕方だけど工房に行こう!!納品物作らなきゃ。

意地でも完成させる!!でも、医師からはハードな事をすると、脊髄の損傷につながりますよ。そしたら術後の後遺症が大きくなりますと忠告された。そうでなくとも、足の麻痺は日に日に進行している。ひょっとしたら4月には、自力歩行無理かもしれない。

納品期限は4月5日だったが、安全策で、3月中に完成させよう!!!制作工程を見直す。

先方のお人柄は良く知っていたから、病気の事も納品が危ぶまれてる事も、ナイショにした。絶対に納品する。私がそう決めれば、そうなる。

3月22日(水)バイトもその週のシフトを残業まできっちりこなして、また来週ねと帰宅(実際の出勤は土曜日)

3月23日ムチウチのリハビリがてら、矢作整形外科に、経過報告に行く。

「古屋さん、診察室へどうぞ〜」

あ。待って。今、歩くからさ!!思い通りに歩けないんだよね...。ノソノソ診察室に到達。

「え?そんなに歩けないの?先週普通に歩いてたよね??」やっとこさ歩く私に院長先生がびっくりした声をあげた。

「はい。毎日どんどん足が動かせなくなっています。」

「すごい進行だね!!君にはもう時間がないよ。手術は決まったの?」

「5月末まで手術の空きが無いそうで、3月30、31日に検査入院は入れてもらいましたが、

 それも無理矢理ねじ込んで下さった感じでした。」

「せめて診察してもらいたいね。今すぐあっちの病院に電話してあげるから、廊下で待ってて。」

数分後看護師さんが「古屋さん、今日から入院できますか?」いやそれ流石に無理でしょ〜仕事しなきゃだもん。

「ちょっとお待ちくださいね。」と再び。

「古屋さん、明日からになりました!!」いやいや、それって実質半日しか変わって無いじゃん!!無理無理無理!!と思いつつ、空気は読めた。両方の医師が最大限私のためにしてくれてるんだ。《断っちゃいけないタイミング》

「はい。大丈夫です。」改めて院長先生にお礼を言い、励まされて辞した。

ソッコー工房へ。DSCN9635.JPGココまで来ればなんとかなるだろう、というところまで終わらせて帰宅すると午前3時。

入院期間もわからぬまま、準備をして、2時間ほど寝て、

東埼玉総合病院へ。いざ人生初の入院へ!!

その前に、診察。

「確かに、かなり症状進行していますね。

 古屋さん。3月28日火曜日に手術入れられますがいかがですか?」

へ???本日金曜日で、火曜日って〜〜〜!?

「それ逃すといつなんですか?」

「それはなんとも。火曜日も手術予定していた患者さんが体調崩されてたまたま空いただけですから。

 古屋さんの症状から優先順位が高いと考え、ご案内しています。

 お仕事の関係などで、無理なようでしたら、他の方を入れますので、ご自身で決めて下さい。」

無理です!!って言いたいけど、《断っちゃいけないタイミングその2》だよね?

これを逃したら、矢作先生のご尽力を無にするし、手術より仕事を取ったと知ったら、納品先の社長も悲しむ。

そして、何よりも私自身一生鉄を叩ける身体が欲しいんだ!!!

「28日火曜日お願いいたします。」

家族を振り返ると「うん」と大きくうなずいてくれた。

よっしゃ!!仕事手伝ってね。

そうと決まれば、執刀医の診察。

ちょうど医師として、経験、技術が高まり、肉体的にも余裕がある正 に今が花盛りの医師という印象。

丁寧だが、表情の変化はほとんど無くクール。

クールながら冷たさは感じない。直感人間な私は、この人信頼できると感じた。

改めて問診などなど。脚気も見て、「反応強いですね。手も出してください。」

人差し指の第二関節をコツコツ叩かれる。

「手の脚気も出ていますね。脳にも腫瘍あるかな?

 と言うのは、腫瘍の位置より下の足の脚気はこの腫瘍で説明が付きますが、手の神経はこの腫瘍のある場所より、

 上部で分岐しています。ということは手の分岐以前に別の腫瘍が疑われますが、首のMRIでは腫瘍は見当たらない。

 後疑われるのは脳です。脳もMRI撮りましょう」

おっそろしい事を表情一つ変えずにさらりとおっしゃる。

こちら、まな板の上の鯉です。

でも、交渉はせねば!!

「あの、火曜日手術後、当分寝たきりになるんですよね?

 でしたらなんとかその前に納品物だけ完成したいので、一日帰宅させてください。」

押し問答の末26日(日)消灯前に帰ってくる約束で一時帰宅が、認められた。

長くなっちゃうから割愛するけど、

必死に完成させたのはこちら。ペン立て穴付きペーパーウェイト。DSCF4002.JPG

結局、私自身は酸でエッチングし、中和剤につけ込むところまでしかできなくて、

中和剤から出して、乾燥させては家族に頼むしかできなかった。

送り出せばいいって思っていたから、撮影も忘れてた。

退院して、カメラいじくってたらこの写真が出て来た。撮ってくれてたんだ!!

撮影時間は午前3時過ぎ。そんな時間まで頑張ってくれたとは!!!

私が仕事をほっぽりだして入院する悔しさを理解し、私の立場に立って仕事を引き継いでくれたのだと感じた。

感謝し過ぎて、切なくて、何も言えなくて、お礼も言ってないけど。いつか言えるかな(笑)

ひとつ発見したのは、どんなに歩けなくてヨロヨロ工房行っても、

工房で安全靴履くとヨロケが3割減するってこと。不思議だね。

そうそう、それから脳神経外科の先生が病室にいらしてくださって

「脳に腫瘍はありませんでしたよ。脚気は腫瘍か、もう一つ別な病気くらいしかありませんが、

 どちらも問題ないと思われます。実は、脳にも腫瘍があったら大変なことでしたよ。」

と茶目っ気たっぷりに笑った。

だよね〜そうなるよね〜!!

あんなクールに腫瘍あるかも。って言ってたけど。

今日はこの辺で☆

(今はもう元気です)

胸椎硬膜内随外脊髄腫瘍だそうで その1

実は脊髄腫瘍がみつかってね、摘出手術した。てか、してもらったと言うべきか。

背骨に腫瘍って症例が多くはなくて、盲点なんだって

これを発見でき、一気に摘出できたのは、かなり幸運だったに違いない。

最初に違和感感じたのは、二年程前。友人達と都内で飲んで(飲めないけどさ(笑))

終電に間に合わない〜!!とダッシュしようとした時、200メートルくらい走ったら突如失速。

その失速ぶりが異常で、唖然とした時だった。

その1年半程後の夏に、太腿の皮膚に火傷のような痛みが起こった。

世間では《サーフィン大会のTシャツロゴによるアレルギー》が取り沙汰されていた。

報道されてる症状と似てると思ったから、皮膚科に行ったが、なにもわからず、改善もせず、通院をやめた。

そして、飲酒運転の車に突っ込まれる事故。皮膚の痛みは断続的にあったけれど、それどころじゃなくなった。

2017年2月になると、《皮膚の傷み》は《皮膚のしびれ》という認識に変化した。

同時に足が重くて動かなくなった。

「事故の影響で、仕事も運動も制限されてたから、運動不足で足が動かないんだ〜〜身体を鍛えるために走る練習しよう!!!水泳も再開しよう!!!」

工房で毎日少しずつ走って、気合い入れるために新しいトレーニング水着も買った。

しかし、無情にも足はどんどん動かなくなった。DSCF3973.jpg                    2017.2.19既に麻痺が始まっていた

大好きな、滝巡りに行っても山歩きが辛いし、脚がフラフラしてバランス感覚が無く山道が怖かった。

そのうちに、二本足で平らな場所に立っているだけで、よろけるようになった。

でも、見た目は元気にしか見えない私。

誰もが「気のせいだよ。」「若くないんだから。」としか言わなかった。

私自身も負けん気から、不自由を気付かれないように、振る舞い続けた。

そんなタイミングで人間ドックがあった。ただのバイトに、人間ドックを施してくれる会社に感謝!!!

問診で「最後に、何か気になることありますか?」と尋ねられた。

「足の皮膚が痛いというか、痺れるんです。脚に倦怠感もあって...。末端が冷えて真っ白になったり。」

とモジモジしながら言った。

どうせ「気のせいでしょ」としか言われないと思ったから恥ずかしかった。

予想外にもまともに取り合ってくださった。

坐骨神経痛の可能性と、冷えの症状は、膠原病の可能性も示唆された。

帰宅して、坐骨神経痛膠原病を調べまくる。

どちらの病気もうなずけるが、どちらも腑に落ちなかった。二つの病気の怖さだけがインプットされ、

同時に、脚はどんどん動かなくなり、皮膚の痺れは腹部まで達した。

「推測で怖い思いしてるより、さっさと病院行こう!!!」

家から一番近い病院で膠原病検査をしている事を知り、受診してみる。

まともに取り合う気がなさそうな対応。「皮膚科に行ったらいいんじゃないんですか?」

「行った結果、何もわかりませんでした。皮膚の問題じゃないように思えるんです。」「それは病院の選び方間違えてるよね。違う病院行ったら?」

...確かに私は健康そうにしか見えないけどさ、これだから病院は嫌いだ。完全にふてくされた。

どうしてもと言うなら、しますかね〜思ってそうな態度で、膠原病検査に廻された。「結果は2週間後以降です。」

次に、交通事故で、お世話になっている矢作整形外科に行った時、院長先生にその相談した。

「いや〜。君は変形は見られるけどまだ、坐骨神経痛ではないはずだよ。首もムチウチ症以外の異常は無いはず。

どれ、試しに片足立ちしてみて」

トライするものの、数秒と立っていられない。看護師さんが慌てて私を支える。

「あれ?前はできたよね?脚気もみてみよう。」

私の膝をコツコツ叩く。脚がピョンピョンする。

「これは反応し過ぎだね。次回MRIの予約入れよう。」

馴染みの医師がきちんと向き合って下さった!!

それだけでも安心したが、症状は一進一退しながらも確実に進んだ。

3月16日矢作整形外科にMRIを受けに行った。もう何度も慣れきったMRI、終わらせて帰ろうとすると、

「次、診察ですね。」「え?診察予約していませんが。」「ですが、診察入ったんで。」...

嫌な流れだな〜。

診察室に入ると「出たね。」と医師。

「ほら。これだね〜腰や首にできる事は多いんだけど、背骨にできてるね〜」

指し示された写真は素人でも、すごくわかりやすく異物が映っていた。IMG_0812.jpg

「この黒いラインが脊髄ね。見てわかるでしょ、これ腫瘍だね。

背骨の中で、ここまで成長しちゃって脊髄を圧迫してるんだね。

これで、君に起こっている症状が全て説明つくよ。

これは、長い時間かけて成長してきたものだろうから、事故とは関係ないね。」

兎にも角にも原因がわかり、不思議な安堵が一瞬訪れた。

「背骨は私は専門じゃないけれど。ココにできるのは多くの場合悪性では無いよ。

でも、ここまで成長して、麻痺症状も出てるから、早めに専門医のいる病院に移った方がいいね。

おそらく、手術が必要だろうね。」

え〜と。会社は仕方ないとして、工房の方は近々納品しなきゃだよな〜。

仕事にだけは穴空けたくないな〜。

でも医師のデスクの上のMRI画像には怪しく黒い影。腫瘍。不思議な安堵は一瞬で過ぎ去った。

背骨の専門医の居る病院に次の日には転院。

矢作整形外科からの紹介状とMRI画像を、見た医師は丁寧に説明をしてくださり。

最後に言った

「もう、今日から、今この診察から、手術の準備をした方がよいですね。

そのためにもっと丁寧にしっかりと説明したいので、手術のための検査をこれから受けてもらえますか?

その間に私は他の患者さんを診察し、最後に改めてあなたの時間を取りましょう。」

検査は手術に耐えうる身体か?感染症を持っていないかを調べるものだった。

全て終わって、待合室に戻ると満パンだった待合室は人影まばらだった。

ホントに最後なんだな〜冗談にできる状況じゃないんだ〜納品ど〜しよ〜

ぼけ〜っと考える。でもあまり怖くなかった。

ようやく呼ばれた。

まず、このまま放置すれば、腫瘍は成長し脊髄をどんどん圧迫し、脳からの指令も届かなくなり腫瘍の位置から下の神経が麻痺し、歩けなくなり、排泄も困難になるだろう。

でも、悪性腫瘍である確率はかなり低い反面リスクの高い手術なので、腫瘍が大きく無ければ手術はオススメせず、経過観察をするけれど、既に腫瘍が大き過ぎてその段階ではない。

手術が遅れる程に、進行が進むだけではなく、麻痺の後遺症が大きくなる。というのが病気の概要だった。

更に手術の概要を。背骨のドリルで砕いて、硬膜という脊髄を収納している膜を切り開いて、腫瘍を摘出する。状況によっては骨盤を切り取り骨を補ったり、人工関節が必要。

脊髄を収納している硬膜まで切り開くため、髄膜炎にかかると死に至る恐れがあるため髄液コントロールをするので、一週間から10日程寝たきり生活。

その後三ヶ月はコルセット。

「でも。良くなる為の手術ですから、今よりはよくなるでしょう。元の身体の6割位にはなるかもしれませんね。

とは言え、この病院でも手術できる医師は一人しか居ませんで、その医師の手術予定は5月末まで埋まっています。

でも、そこまで放置したら、アナタは歩けなくなっているかもしれませんし、後遺症もひどくなるでしょうね。

放っとける状態ではないので、週明けの会議で対応を協議しましょう。」

3月末の検査入院の予約を取り、帰途についた。もう夕方じゃん。病院に丸一日居たな〜。

気持ちもとっぷり暮れていた。

続く〜

でも無事だからね

事故とその後とたくさんのありがとう。

新しい年になって、2ヶ月と1週間が経ってしまいました。

皆様お元気ですか?

ブログ書かなきゃと思いつつ、事故後の怪我で開店休業な毎日では書きたい事も生まれず。

でも、週2回の早朝からの通院と、事故で増えた野暮用でなんだか忙しい日々でした。

さて。

今まで事故の原因に関する事は伏せてきましたが、刑事裁判も終わり、

潰れちゃった車が警察から帰って来て、ようやく廃車手続きが始まり、新しい車のコーティングなどが終わりました。

まだ、通院と保険関係は先が見えない状況ですが、とりあえず一段落です。

なので一応事故状況も書いておこうと思います。一人でも多く、加害者にならないで欲しいから。

普通に暮らしていた人が、その瞬間に犯罪者。警察に連れてかれて おうちにも帰れなくなるんだもん。

長くなりますが、事故の事を書くには今日が最後にしようと思います。DSCF3468.JPGその日は、バイト先の会社でいつもより遅くまで残業してた。タイムカード切ったのが午前3時。

現場の交差点に着いたのは3時20分頃。

赤信号。後続車も対向車もなく、交差点には私の車だけが停車していた。

ふと、信号の向こうの緩い左カーブに対向車が現れた。

他に見る物も無いし、信号はまだ変わる気配もないから、そのヘッドライトを眺めていた。

近づいてくるヘッドライト。ヘッドライトの間に青い小さなフォグランプ

何を思うでもなく眺める。それが次の瞬間には、恐怖に変わった

「あれ???道はカーブが終わってるのになぜハンドル戻さない??」

「え??? 対抗車線はみ出してるけど!! 私居るんだけどっ!!! ぶつかっちゃうんだけど〜〜〜っ!! わ〜〜〜!!!私に何ができる??」心の中で必死に叫ぶ。

何も解決策などみつからず、ホーンの小さなボタンに命を託す。

今ブレーキ踏んでくれれば!!今ハンドル切ってくれれば間に合う!!!気付いてくれ!!!

必死にホーンを鳴らし続けた。

闇から街灯の明かりの中に現れたのは、低重心な黒いセダンだった。ヘッドライトと青いフォグランプは淡々と近づいて来る。

その様子はあまりにも恐怖だった。

「え? ホーン聞こえないの?? 止まらないの!!? 来る〜〜〜っ!!!!」目を閉じた。

ぶつかる直前、頭の中で、大切にしてきた愛車が廃車になる事を理解していた。

「廃車ってことは私も???死んだ???」その疑問が生まれるか生まれないかの瞬間に、ものすごい衝撃!!! 金属を引きずるような音。

ようやく静止。煙の臭い。

目を開けて目の前が見えた、見えるという事は?「生きてる...?やった〜!!生きてるんだ。」

しかし、見えた光景は最悪。カーナビの灯りに照らされ、舞い散る埃の中で、展開されたエアバック。やっぱり愛車は死んだんだ。

ナビは何事も無かったかのようにしゃべり続ける。

「脱出しなくては!!」相手の車がめり込んで運転席は開かない。助手席ドアから脱出。

身体は問題なく動く。ホーンを鳴らし続けた右手はかすり傷と打撲かな。

降りてみると、私が停止した位置と全然違う場所だった。

突っ込まれて、私の車はかなり後方に押しやられたようだ。

あれ? 相手は降りてこないよ? 生きてる? 正直「知らんがな。」って思った。

だって私、赤信号停止中だもん。

こっちが「生きてますか?」って聞かれたいよ。それに死んでるかもしれないから怖いから見たくも無いよ。

でも、怒りも恐怖も通用する場面じゃなかった。生存確認せねば。義務だ。恐る恐るのぞく、

フツーに生きて、電話してるし。でも警察じゃなさそう。

車に戻ってエンジン切って。ぐしゃぐしゃの車内から携帯みつけて110番。

もう全てがイヤだった。愛車は死んだと思ったから被害状態も何も見たくなかった。

明らかに、自分には何の非も無いから事故状況は警察の検分に任せればいいやと思った。(走行中の事故などだったら、争いになることがあるから、ドラレコが無い場合は車を動かさずに状況の写真を撮るべき。)

そのうちに、寒い深夜にも関わらず、音を聞きつけた近所の方や一部始終見ていた方が私に声をかけてくれ、3人で車からやや離れたところで話していた。

「なに〜これ?どうなってんの〜?」と背後で声がした。女性だった。電柱にもたれる。

目撃者のおにいさんが怒った。「あんただよ!!あんたが事故起こしたの!!見なさい!!」「わかってるわよ〜」

え?何この人。言動おかしいし、千鳥足?泥酔?飲酒運転??

日常的に酒を呑まず、酔っぱらった事が無い私には、自分に危害を加える酔っぱらいらしき相手は恐怖でしかなかった。おにいさんが対処してくれるのを、私は呆然と眺めていた。

警察が到着すると、一気に気が抜けてへたりこんだ。

簡単な現場検証。

私の車は停車していた位置から事故の衝撃で20メートル後方に移動していた。

20メートルって、大型トラックの全長が12メートル。特別な許可なく国内走行していい最大のトレーラーで18メートルでしょ。普通車何台分??

後続車居なくて良かったよ〜。

へたり込んでブルブル震えだした私を見て警察が救急車を手配してくれた。

現場を見た救急隊員の方に「この事故でこれくらいの怪我程度で済んだのは、車のおかげですね。軽自動車なら命が危なかったですよ。」と言われながら救急車へ。

病院であちこちレントゲン撮られ、骨には異常なし。右手全体が痛いだけだった。

タクシーを呼んで待っていると、だんだん首が痛くなって来て、再びレントゲン。

ヘトヘトでおうちに帰ろうとしたら、警察から警察署に来てくれと電話。そこから8時過ぎまで事情聴取。

ずっとあとでわかったことだが、加害者から、飲酒運転と呼ばれる域を遥かに越えたアルコール検知されたそうだ。(詳細は控える)

衝突スピードもエアバック展開してる点からも時速40キロ越えていたと思われる。DSCF3916.JPG              《混乱した車内から拾ってなぜか握りしめてた木の実》

飲酒運転は犯罪なんだよね。

加害者に対する警察の毅然とした厳しさは、見ていて非常に怖かった。時代は変わったね。

警察の方いわく「飲酒運転で検挙される人はちょいちょい居ます。単独事故もあります。でもこうして事故を起こし、幸い命は無事でしたが、人身事故というのは最も起きて欲しく無いですし。管轄下で年間数件の事例です。」その言葉から静かな怒りと少々の蔑みすら感じた。

その後、色々割愛する。悪い事してないのに、とにかく全てがストレスだった。警察、病院、保険屋、検察。被害者なのに なんだか無性に怖くてやりきれない気分だった。

裁判は傍聴しなかった。代わりに父が行ってくれた。

検事さんからも直接詳細に説明していただいた。

「被害者である古屋さんのお怪我の程度からすると、通常より重い判決になりました。」

事故内容からの判断だそうだ。相手に対して、恐怖の感情こそあれど、その他の怒りも恨みも生まれなかった。

本気で死んだと思ったから。自分が生きてる喜びと、相手が生きてる事への安堵しかないのだ。

相手がどれほど悪くても、自分の車にぶつかってきて死なれたら心の傷は深いだろう。

だから、これで良かった。

それでも、溺愛車との突然の別れはやっぱり理不尽だ。

「形あるものはいつか壊れる。あの車は永遠のヒーローになったんだ。」と頭と心に言い聞かせる。

車は鉄だから再生される。製鉄会社で、おせんべいみたいになった車もスクラップ材として、真っ赤な転炉に入れてた。再生し、いつか私の元に帰って来て、それを私が作品にする日が 来るかもしれない。DSCF2554.JPG                    《去年の夏休み佐渡島にて》

車が無いと生活できない現実。なので、探したのは同じ車種、同じ世代、同じグレード、同じ色。

私の望む条件だと市場にあるのは全国で十数台。運良く埼玉に1台、千葉に1台。

まず、埼玉へ。

見た瞬間「そうそうこの顔!!」それにかなりきれい!!だけどね、顔を付き合わせても心が通じない感覚。

めげずに2台目を見に千葉へ。オートテラス松戸(http://www.hondacars-tokatsu.jp/home/sr70.html

駐車場に入った瞬間、待ち構えるかのようにどっしり構えるお姿。

その時点で《そいつ》は私に心を開いてくれてた。「あ!!来た。遅いよ。」って言ってるみたいだった。

ぐる〜って見渡して、即決!!!営業さんが素晴らしかったのも、即決の理由。

融通利かせる努力も素晴らしいし、車をベストな状態で見せよう。ベストな状態で引き渡ししようという姿勢に信用できた。

契約書書いてるとき、ふと見た車体番号

クスクス笑い出す私に営業マンが首をかしげる

「実はこの車見た瞬間に私と生きる子だ!って感じたのです。で、この車体番号これ私の誕生日とゼロで構成されてるんです。だからやっぱり正解なんだと思いまして。」DSCF3580.jpg              《納車日 親切な営業さんにナンバープレートつけてもらう》

長い付き合いになりそうだね。愛車にはちゃんとコーティングてもらおう。

と、コーティングプロショップを探していたら、友人が

「良さげなお店あるんだけど、実験されて来てよ。」と雑な感じに紹介してくれた。

それが《ラディアス上尾》(http://www.best-carcoating.com/

施行例にはフェラーリ、ポルシェ、マセラティ、ベンツ高級車がずら〜り。

どんどん読み進むと「HONDAの塗装はやりづらい。」とのこと。

だよね!そんな気がする!前の車で散々悩まされた!!研究熱心で正直なお店な気がするよ!!

その結果ピッカピカ!!!新車かっ!??みたいなDSCN9697.JPG                     《ラディアス上尾さんにて》

職人気質で正直な方の印象で、この方に頼んで良かったって思った。

正直この世代のCR−Vの塗装はやりにくいそうだ、「でも、この車は状態が非常に良いです。納車前にされた塗装なども腕が良いですね〜。良い車に巡り会いましたね。」

リップサービスじゃないと思う。この方の仕事は、どんな状態の物でも良くするのがお仕事だから。

ピッカピカの愛車のちゃんとした写真が2月2日のスタッフブログに載ってるよ(http://carcoating2009.blog99.fc2.com/)

もう一社お世話になったのが、馴染みのディーラー《ホンダカーズ久喜 久喜店》(http://www.hondacars-kuki.co.jp/)お世話になりっぱなしでした。苦労も儲けもなんのその〜って感じに親身に助けて下さいました。

事故の次の日、代車を届けてくれたとき

「本当に大切になさってた車でしたから、車が恩返ししたんです。身を呈して守ってくれたんですね、アイツは最期に良い仕事しました。」と誇らしげだった。

その言葉ホントだね〜。

廃車と新しい車探しは、なんだか愛情に溢れていた。

営業マンも技術者ももちろんお金で動いているのだけれど、やはり心なんだな〜とつくづく感じた。

現在、2月に入ってからようやく工房再開しました。

でも、むちうちの影響は想像以上にあります。今までより遥かに軽作業にも関わらず、すぐに首がバリバリになり、肩、背中と痛みが広がり、頭痛に及びます。

「きちんとリハビリすれば、治るものですから、一緒に頑張りましょう。」とお医者では言われるけど。

カッチコチになっちゃうからちゃんと通っているけれど、病院嫌い。いつまでかかるんだ〜???

まあ。生きてるんです。それって超絶ハッピ−ですね。

いつ死んでもいいくらい本気で生きて来たつもりだけど、あの日から今日までで感じたハッピ−と、笑った時間と、時に悲しかったりしたことと、美味しかった物物と、

日常って愛おしい。

さあ早く治して本格的に頑張れる様にします!!

今年は名古屋で個展あるらしいし!!

最後に、運転するからには事故は起こりえることです。

それは百歩譲って、仕方ない事ですが、飲酒運転は本人が避けられることです。

自爆なら勝手にしててください。でも道路上は、そうそう好都合に自爆もないですから、加害者になる恐怖をキチンと持たなくてはですね。

私はお酒は呑めませんが、疲労や過労運転も非常に危険ですし、一発免許取り消し3年以下の懲役なのです。

安全運転義務違反。そもそもそこですね〜。

明日は《イッカクと平和》最終日(時間気をつけてね)

あぁ。もう個展が終わる。

この1ヶ月と1週間。なんなんだったんだろう?

交通事故から2週間会社も工房も休みました。身体中アチコチ入れ替わり立ち替わり痛かったし。

2週間休んだなんて、十数年前のイタリア旅行以来。

それでも結局、警察、保険屋、次の車探しで、休めた気がしない。

会社は同僚にかかる負担を考えて復帰したけれど、工房はまだ制作してない。背中から首の痛みは残ってて、怖い。DSCF3571.JPG

かと言ってもう会社休めないから、ギャラリーに在廊できる日数が予定より減っちゃったし。

事故って、被害者でも疲れます (ρ_;)

そして、車買うってやはりビッグイベントじゃない。

車選んで探して、何件か見に行って、装備チェックして、必要な手配して、事務手続きして。引き取りに行って。

保険屋からの代車にも期限があるから後回しにできない。

でもでも!!個展って作家にとって無条件で人生懸けちゃうくらいの最大のイベント。

それは言い過ぎとしても、少なくとも数年の作家活動には影響する。

当然作家自身が 制作して、広報して、レイアウト考えて、備品制作して、搬入して、接客して.....尽きない。

この二つのビッグイベントを同時進行させて、病院通って。あれこれ事故処理して。身体も時間も足りないですよ。

結局、無理が祟って風邪ひいたけど、もう会社休めない。疲労困憊。

やや立て直してあっと言う間に、明日は最終日。在廊しますが、ライブある日なのですo(^-^)oDSCF3577.jpg写真は前回の11/25(金)のライブ風景。千葉史絵さん(ピアノ) 穴田貴也さん(チェロ)duo gest 小林貴子さん(ボーカル)

とても素晴らしいライブだったよ。

その時は、会場がこんな感じになるので、作品だけ見るって事ができないのでご注意ください。

入場にはライブチケットが必要になります。

でも、私もすっごく楽しみにしているクリスマスコンサートだからおいでよ〜

●クリスマスコンサート

12月8日(木)開場19:00 開演19:30

vocal 小林貴子

piano 佐々木潤

各MC3000円+1ドリンクオーダー

予約 vieillbakerycafegallery@gmail.com

https://www.facebook.com/events/213946842371640/

Facebookに上がってた動画観たら本当にワクワク。

まだ席少しあるそうです!!

それにしても、今回個展にあたって。

当初《遺作展》にならなくて良かった。と心底感謝しました。

幸いダマスカスオブジェ5点もそこそこ制作済みだったので乗り切れると思っていました。DSCF3271.jpg                《新作ダマスカスオブジェー隆起する》

実際、対外的には乗り切ったとも思います。

でも、正直、本人は、巻き戻せるなら事故前に戻りたい。もっともっと魅せたかった。

作家にとって個展はひとつひとつが賭けなのです。

作家という《やくざな稼業》には、個展という機会は《努力できる宝くじ》みたいなものなのです。

宝くじは買ったら、運を天に任せるしかありません。

個展はそのチャンスを自分の努力次第で、命を吹き込めるのです。

開催前は、最低限生きている喜びと、作家として立つ喜びを感じられれば。と思っていましたが、そんな柔な世界じゃないんです。

自身の落ち度ではなくても、全ての責任は自分にかかるのです。

お金を払ってギャラリーを借りた個展なら、まだいいのですが、

今回のようにギャラリー側の企画ですと、作家の責任は重いのです。

それを痛感し、苦しむのは結局私なのです。

新作もあるし、あの広さでは作品数多過ぎる位なので、見応えはちゃんとあります。

そうゆう問題ではなく、どれだけ自分に対峙し、どれだけ命をかけられたか?

という言わば自己満足的、自己陶酔的な「自分自身との闘いが満足できるものであったか??」なのです。

端から観たらくだらないだろうけど、私の人生においては最も大切な事です。

早く痛みが取れて、制作に復帰したいよ〜〜〜〜。

個展!!個展!!コテンパ!!

個展するんです!!!

今年は発表の機会が少なかったのでとっても楽しみ!!

今年は、発表は少なかったけれど、例年よりずっと多くのダマスカスオブジェを作り、国内外に送り出しました。

常に納期に追われていました。

そんな納品ラッシュもクリアーして、

個展用ダマスカスも鍛えて、

DMもカッコ良く仕上げていただいて〜。スクリーンショット 2016-11-14 12.02.01.pngさて!!と言う時に事件が起こりました。

一瞬ですよ。バイト先の会社から帰宅時、赤信号停止中でした。

「あ。対向車来たな〜。」

と、思って...不審に思って警報鳴らして。

ドカ〜ン。ホントにホントに恐怖でした。

生きてる事が不思議でした。身体も動く。

現時点では、これ以上書けませんが、この一瞬で全てが狂いました。

私は人生初 救急車に乗り。

溺愛してきた愛車もレッカー車にひきずられ。

全てが、狂いました。

でも生きてるんです。

目を開けて見えたエアバック全開のあの光景。火薬臭いあの臭い。

何もしてないのに、事故が起きたという事実は、最低な光景でしたが、

見える、生きてるという最高の喜びを感じた、最高の光景でもありました。

一生忘れないでしょう。

そして、入院はしなかったものの、個展の準備の制作なんてできなくなりました。

病院、警察、保険屋、ディラー、そして中古車屋(次の車を探さねばなりません)。

警察と関連の事情聴取と現場検証だけでも、3回にわけて7時間越え。

病院、病院、警察、警察、書類、書類、電話、電話、

「個展の邪魔しないで!!!」って言いたいけれど、

《生死に関わる程の出来事》はどうやら事後処理も最優先事項になるようだ。

そもそも身体が痛くて制作なんてできないし。

でもDMくらいしたかった。

心も、怒り、悲しみ、恐怖、安堵、優しさ、愛情、達観。

全てがグシャグシャで舵取りが難しかった。

コテンパだけど、個展はします!!

身体もリハビリと薬と湿布で随分イイよ。

今回ギャラリー小さいので、作品もダマスカスオブジェ中心で考えてました。

新作オブジェ4つは、ほぼできてた!!

でもオブジェは、あと2つ位作りたかったし、

こっから売れ筋ジュエリー作ろうとしてたのに〜

お客さんが楽しめるような 花器とか小物も作りたかったな〜

無理して作りたかったけど、でもね怪我が右手から首だから、

私の作家人生、こんな理不尽な事故で終わらせたくないの。

だけどね〜。

たくさんの愛情をもらい、今までどれだけ多くの人に甘えてきたか再認識しました。

そして、自分もその人々をどれだけ大切に思っているかも気がつきました。

何よりも自分の人生と命を愛してると、気付かされました。

スクリーンショット 2016-11-14 12.06.40.png

では、個展会場でお待ちしております。

現在在廊予定は下記4日間の予定です

でももしかすると、のっぴきならない事情で変更の可能性あります。

元気に皆様をお迎えできますように!!!

11月18日 25日

12月2日 8日

また在廊日が増える可能性もあります。

会期中ライブもあります。

Vieill Bakerycafe&Gallery(ヴィエイユ)

https://www.facebook.com/VieillBakerycafeGallery/

行き方はこちらがわかりやすいかも

https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132101/13153788/#title-rstdata