九州セキスイハイム工業リニューアル記念《あふるる》ダマスカスが口をきいた日

3月末に九州に日帰り出張で下見して打ち合わせして〜。DSCF2130.jpg

一気に完成です \(*^▽^*)/

6月初旬には作品発送し設置も終わっていました。

建物の公開に伴い作品公開も許可出ました ∩(・ω・)∩ バンザイ。image1.JPG九州セキスイハイム工業(鳥栖市轟木町)さんの新工場エントランスです。

リニューアル記念として、日新製鋼株式会社さんと日本鐵板株式会社さんから依頼を受けて制作。

題名《あふるる》

セキスイハイムさんのセキスイ(積水)という言葉は孫子の兵法に由来するそうだ。

「勝者の戦いは、積水を千仭の谷に、決するがごとき、形なり。」

訳ー 勝利者の戦闘というものは、満々とたたえられた水(すなわち積水)を深い谷底へ切って落とすような、激しい勢いの得られる形のもとに、一気に決める。

セキスイハイムさんはそこから

《事業活動では、必ず「問題」や「課題」に直面する。これを破るには、相手の実情をよく知り、充分な分析をしたうえで、当方の体制をつくり、満々たる積水の勢いをもって、勝者の戦いをすることが大切である。》

という理念が社名の由来。もっと気になる方は下記参照下さい。

http://www.nishinihon-sekisui-shoji.co.jp/corp/origin/index.html

http://president.jp/articles/-/73

これに、非常に興味をそそられたそれに基づいてイメージを膨らませた。

この作品では、山あいの谷間に満々と溜められた水の最初の一滴が走り出す瞬間を表現したかった。

新工場ということだったのでスタートの意味を込めた。DSCF2235.jpgダマスカスを使うことによって水紋と、蓄積された水の歴史を表わせたらと考えた。

このモデル以外にスケッチでいくつかの案を提出していたが、選ばれたのはコレだった。

実はこの形、画で描いたら格好良かったけれど、その時点では3次元に置き換えた時の効果が想像ができなかった。

制作工程も日数も一番かかると見込んでいた。

かなり冒険になりそうだったので、選らんで欲しくない物だった。

けど選ばれちゃった ∩(・ω・)∩ お手上げ。

「ヤバい間に合わないかも〜」

とりあえず一番不安なダマスカスからね。

でもダマスカスも個展等で使い果たしてた。ストックゼロ。最初から鍛えていく。

水面はあまり派手な模様は要らないな水の輪っか程度でいいな。と意図して制作したが、

いざ大まかに出来てみると、シンプル過ぎて模様が間延び。美しくない。

いじくりまわしてもダメ。

「もういいやこのダマスカスは捨ててやる〜。丹精込めて鍛えたたのに〜時間無いのに〜」

腹立ちまぎれに、一度火にいれて潰しにかかった。

叩き始めるとダマスカスが言った。

「よぉ。

オレをもう一回試さない?オレはアンタが鍛えたダマスカスだぜ。

信じてオレの言葉聞いてくれよ。」

「え?あんたにそんな力あるの?

けっこう腑抜けな模様だったけど。でもその自信惚れたよ付いてく、魅せてちょうだい。」

「まず、見ろ。今お前が叩いた力の軌跡を。」

平面を横から潰したから両側が盛り上がり中央が筋になって凹んでいた。

「ぁあ!!

そうだ、水面は必ずしも平らじゃない。滝の落ち口は水は窪んでいるんだったね。」

「水も鉄も物理だよ。」

そっから会話が始まった。

今思い出しても寒気がする。

ダマスカスは私に「この方向で叩け」と明確に指示を与えてきた。

叩きが行き着く所まで行き着くと

「削れや!!」と言う

「へい!お次は?」「叩けや!」

それを数回繰り返した。

だんだんダマスカスはべらんめえ調の口を閉ざし素材に戻っていった。

私は「あぁ彼は伝えるべき事を伝えて私に任せたんだ。」と感じた。

見る人からみたら普通のダマスカスだ。でも私は今までしたことの無い方法を試みた。ダマスカスに導かれて。

ずっとずっと片思いだった鉄だけど、私は鉄に愛されてるそう思えた。

おかげでダマスカスは少しもロスしなかった。DSCF2229.jpg本体の黒い部分はステンレスを使用。

ご依頼主の日新製鋼さんも日本鐵板さんもステンレスに強い会社だからね。

ステンレスでいろいろ制作してきたけれど、板材でこれだけのボリュームを成形するのは初めてだった。

難しかったね。

制作期間が、短い中でもう少し手を加えてあげたかったけれど、何日も何日も自宅にすら帰れず、ギリギリまで粘って、ベストを尽くした。

当時バイト先の会社も凄く忙しくて、毎日残業続き。

でも会社の仕事も手抜きしなかった。

私にとって、仕事するからにはどちらもきちんとする。

それが私のプライドなんだ。

きっと会社の人々は私がどんだけ無理して生きてたかなんて気が付いてもないだろうな。

すごく大変だったけど、楽しかった。

ダマスカスがあんなに明瞭にに会話してくれたなんて嬉しくてたまらなかった。

私にチャンスとチャレンジを下さった日新製鋼さんも日本鐵板さんありがとうございました。

選んで欲しくなかった物に挑戦する使命を与えてくださったセキスイハイムさん。やはりこの案が一番私らしい形でした。

ありがとうございます。DSCF2234.jpg

セキスイハイムさん気に入ってくれてるといいな〜

重鎮のお言葉。

スクリーンショット 2015-11-25 11.16.png「あのね!!

あなたこの作品の作家さん?

あなたの作品、技術が素晴らしいのわかるんだけどね。

アナタが見えてこないのですよ!!

技術に先走ってるのね!!」

ゼロケルビン展で 私の作品見た、とってもエラそうな方がおっしゃった。

多分美術界の重鎮なんでしょう。

ハイハイハイハイ!!

貴方様のおっしゃりたいことジュ〜〜〜〜ブンっわかりますよ。

私、何百回もその言葉浴びせられてますから。

その《呪文》発するだけで私は貴方様を《決められたセオリーの中でしか生存不能で一辺倒な見方しかできないお方》とレッテル貼り返すだけなのですよ。

美術界の中では技術力を嫌う風潮がホント根強い。

どうしたって私は鉄を愛しその特性をトコトン追求しているから技術が立つ。

言ってしまえば、刀匠だって挑戦しないような領域まで突っ込む。

技術力と表現との間で悩んできたのは私なんですよ。

だからこうして世間で言われてるダマスカスのセオリーから逸脱してるのです。まぁポッと見の貴方様にはわからんと思いますよ。

貴方様のお言葉は《この手の作品の弱点はココ的発想》で一瞬に判断して、おっしゃってるようにしか思えんのです。

そうすることで、ご自分の価値観を守ろうとしているのでしょ。

ダマスカス始めて15年弱私はその問題と向き合ってきました。

そして生涯その問題と向き合うのです。ポッと見の貴方様よりずっと長い時間その問題にさらされているのです。

その言葉が私を美術業界アレルギーにさせたんですよ。

と同時に私の作品のそうゆう特性を知りつつも、今回私を入れて下さったK's Galleryの増田さん始め、過去に私と関わって下さった今までのギャラリーの方々に深く感謝するのです。

私は私を歩くんだ。

新宿全労済ホールにてゼロ・ケルビン展始まりました。DSCF2254.JPG

http://www.spacezero.co.jp/information/124157

どの作家さんも面白いし。全体の和音もなかなかの絶妙さ。

ダマスカスファンの皆様。ゴメン!!今回も超絶セクシーです。

在廊日 6月17、19(14時〜16時くらい)、23、24、26(入り時間未定〜最終)

阿蘇山よ、そなたはもう十分に美しい。

阿蘇山よ〜〜〜

噴火しないでおくれ〜〜〜!!

小規模噴火してるようだけど。もう被害も地震もいらないよ〜〜〜〜。

阿蘇山ってさ。私の中で存在デカいんだ。

高校の修学旅行で遊歩道散策しただけなんだけど。衝撃的だった。

それ以前から 連休あれば山登る家族だったからけっこう山は見てた。

バスを降りて、「そもそもバスで行って〜なんてパターンはたいてい観光地化されてイマイチな場所」に違いない

「火山なんて木もなくて、ど〜せつまんないでしょ」ってテンションだった。

しかし、いつしか私は目の前の光景を キョロキョロクルクル必至に見回してた。

カメラなんて持ってなかったから、全ての景色を脳に焼き付けようと躍起になった。

見た事も無いほど巨大で荒涼とし なだらかで険しい火山特有の場所だった。

しかし、不思議と人を拒む空気ではなかった。むしろ、人など歯牙にもかけない、見えていない。そんな空気。

その山肌は木一本なく、ただただ様々な色の土が折り重なっていた。

大地そのものが、地層が紅葉にも勝る色づきで、それはそれは絶景だった。

これまで私は山の上の上物(?)を自然と呼び、それを美しいと思っていたのか?と気付かされた。

例えば、コケ、草花、木、森、川、湖など...。

そんな上っ張りのない山、大地、地球そのものが生きていて その生き様の美しさだと感じた。

自然の美しさの概念を根本から変えられた山とも言える。

高校生の頃の記憶をいくら引っ張りだしても、あの美しい色合いまでも再現できない。

しかし、強烈な印象と気配は鮮明に残されている、

ダマスカスを打っていると、しばしばそれを思い出す。

その記憶がなかったらここまでもダマスカスにのめり込まなかったかもしれない。

阿蘇山よ、そなたはもう十分に美しい。

もう地層を刻まなくていいから、穏やかにいておくれ。

自然は人など歯牙にもかけないから、無慈悲だから美しい。

だが、どうかその眠れる力を眠らせておいておくれ。

熊本、大分での地震災害 心からお悔やみ申し上げます。

早く余震が止みますように。

熊本の友人知人、大分のJ.Boonの皆様、並びに住民の方々のご無事を切に祈ります。

《日刀保たたら》その3ー許可をもらった日ー

身体中に、鉧出しの塵を浴びて なんだか砂砂してる。

そして、心は興奮冷めやらぬとかいう問題じゃなくて、腑抜けというか、度肝を抜かれちまったというか...。

そこから《奥出雲たたらと刀剣館》へ

実寸大の高殿の地下構造模型を見学し てあれこれ疑問を解決。鞴も踏んでみたよ。

奥出雲にはたたら関係の様々な物がある。どこ行こう???決めかねるんだなぁ。

スタッフさんに「たたら関係だと何を見るべきですか?」と尋ねると効率的に回れるルートを教えてくださった。

行きたいと思っていた場所が冬季閉鎖だったりしたので聞いて良かった。DSCF2050.jpg        《当時のまま保存されている唯一の高殿。菅谷たたら内部 操業はしていない。》

そこから、いくつも回っていて口を揃えて言われた事がある。

「えっ?お一人で??? 日刀保さんとどような関係ですか?見学許可よくもらえましたね。」

そうだよね。

見学者の中には女性も、私世代の方も チラホラいらっしゃった。

でもなんの後ろ盾もなくピンで居るのは私だけだった。

思えば、『日刀保たたら』見学は10年以上の悲願だった。

私は鉄という素材そのものに惚れ込んで鍛冶屋をしている。

鉄に関することなら、宇宙や地球の成り立ち、人体での働き。鉄鉱、製鉄、鉄鋼、鉄工あらゆる事を学びたいのだ。

そんな私がなぜ、私がこのような貴重な機会をいただけたのか、それがどれほど嬉しかったか。

鍛冶屋を始めてから3つの願いがあった。

・製鉄所見学 (今流行りの一般人向け見学ではなくもっとコアな)

・刀匠見学。

・日刀保のたたら見学

製鉄所見学は新日鐵住金(八幡製鐵所)さんと日新製鋼(呉・周南工場)さんが叶えてくださった。

刀匠見学は偶然にも株式会社三五さんが刀匠尾川兼國さんの所に連れて行ってくださった。1229888_512203418859078_2015155206_n.jpg                       《刀匠・尾川兼國氏》

ただ一つ残されたたたら見学だけは叶わなかった 鉄鋼業界の知れる限りのルートを辿っても途中で糸は途絶えた。

それでいて、私は武器が嫌いだ。ダマスカスを鍛えながらもナイフは作らないと決めている。

しかし、ナイフを作る人々の技と知識に敬意を持っている。

更に日本刀となると、恐れ多い。

玉鋼という世界に類のない素材、村下の技。刀匠の火との対峙、研ぎ師の技、全てが神業的な領域なのだ。

武器云々ではなく、完全なる尊敬。先人達の知恵と歴史、同時に鉄そのものに対する敬意だ。

(もはや日本刀を武器と言っていいのか?? 博物館などでそれが武器である事を忘れその美しさに惚れ惚れする。)EPSON006-1.JPG           《松江藩鉄師 (たたらの経営者) 頭取であった絲原家の絲原記念館にて。

   刀匠小林貞悛氏の日本刀を持たせていただいた。日本刀ってそのものにオーラがあって持ってるだけで緊張》

昨年末、その夢は突然現実味を帯びた。

日新製鋼ギャラリーで個展している時、役員のMさんという方と知り合った。

3年前の個展の時からお会いしたいと思いつつ、会えなかった方だった。想像通り評判通りのスマートな紳士だった。

そのMさんが「たたらは見たことありますか?」

「ないんです。ずっとずっと願ってきましたが、どうやっても行かれないんです。」

「きっと古屋さんは見るべき人ですよ。ちょっと当たってみましょう。」

は??? へ???

今なんとおっしゃいましたか〜????状態に陥った。

「実は村下の木原さんとは 私の前職時に社内人材育成でご指導いただき、それ以来お付合いいただいているのです。

でも、村下と言えど見学者をおいそれと 入れることはできないと思うので、あまり期待しないで下さいね。」

ありゃ〜!! 青天の霹靂です。どうしよう!!

期待するなと言われても期待しちゃうけれど、物事現実になるまで 信じないという習慣は身に付いてる。

その後Mさんはギャラリーに 度々足を運んで下さった。

「やはり許可は木原さんではなく、日刀保さんからしか出ないそうです。難しいですね。申し訳ない。」

「申し訳ないどころか ご迷惑おかけしてます。」

何週間も経ったある日、ギャラリーにお客さんがあふれていた。ふと、Mさんが降りてきて下さった。

「古屋さん、日刀保さんから許可がおりましたよ!!」

もうその瞬間、私は周囲はそっちのけで飛び上がってた。おっそろしく嬉しかったヾ(*´∀`*)ノ゛

後でMさんから《 Mさん → 木原村下 → 日刀保 》のやりとりを教えていただいた。

詳細には書けないけれど、と〜〜っても難儀なお願いの末に 許可が 降りた様子だった。

それ知った時、ヘタヘタと座り込んでしまった。

私如きのために、これ程の方々が時間を割き、心を砕いて下さるとは...。

たたらを見たいという人は腐る程居るだろう。頼まれても容易く動ける内容では無いはずだ。

Mさんも 木原さんも 無理を承知で超異例のお願いをして下さったと、想像できた。

私、この人生を選択して 良かったんだ。この生き方だったから与えられたチャンスなんだ。

Mさんと木原村下のやりとりは 私の歩んできた道に 許しを与えてくれたような気がした。(勝手にね。)

もちろん私と木原さんはなんの面識もないし、私にとっては「たたらの村下」としてメディアでみかける神のような

存在でしかない。だから木原さんの言葉は、私の力ではなくひとえに Mさんのおかげなのだけれど。

それでも鉄の神様、金屋子様が私の存在に 気が付いてくれたような 気がした。DSCF1997.jpg                     《金屋子神社の狛犬さん》

私の唯一の強みは ホトホト鉄が好きなんだ。

それだけで突っ走って来たが、楽な道ではなかった。人生の色んな物を切り捨て、人を傷つけた事もあったろう。

何度も挫折した。売れる物を作りなさいとたくさんの人にアドバイスされた。

それでも、世界中が振り向かなくても、私は鉄との対話から生まれ、私自身が良いと思った物を作り続ける。

そう覚悟してきた。

一人で闘うつもりだった。

「あぁ。疲れたよ。ココまで来るの疲れたよ。」

心の中に泣き言が溢れてきた。

今まで、自分で選んだ道に泣き言なんて不要だった。むしろ、その道を貫く事が許される環境に感謝していた。

きっと人間って本当に突っ張らなきゃいけない時は 泣き言言わないんだね。

言ったら言った本人が その言葉の重みで折れちゃうもん。

今、私は一つ何かにたどり着いたんだ、その分の強さを手に入れたんだ。

そして金屋子様に振り返って貰えたんだね。

「頑張ったね菜々。そしてあなたはこれから 応援してくださる方々と 金屋子様と歩いていいんだよ。

きっとね。」

と次なる鉄人生を思い描いた。

それから数ヶ月、日新製鋼展と 名古屋の三五展との掛け持ちで忙しい日々が続いた。

合間でたたらについて再勉強する。一抹の不安がよぎった。

「もしかすると見る前に 私死ぬかも。運良く見れたとして、ちゃんと帰って来れるかな?」

私にとって 叶ったら命に支障をきたす不安すら感じてしまう程の願いだったのだ。

幸運な事に帰ってこられた。

その強烈な印象で 帰宅してしばらく、色んな記憶が飛んでいた。

出発前に依頼した作品撮影の件でカメラマンからのメールで、やっと我に返り山積みの仕事と確定申告を思い出した。DSCN9469.JPG                     《私の炉と私のダマスカス》

村下程の存在には 到底なれないけれど、

私は私の火と向き合おう。

これからも ホトホト鉄を愛し。火と鉄をつくづく尊敬しよう。

ほとんど会話できなかった木原村下は、それを持っている気がするから。

私にもそれができる。それだけはできるんだ。

もう、私の心には一切の泣き言も無い。いつか再び泣き言 言える日は来るのだろうか?

このような機会を与えて下さった、日刀保さん、木原さん、Mさん 心から心から感謝いたします。

ありがとうございました。

最後に奥出雲で出会った皆々様、本当にありがとうございました。

とてもあたたかく、たくさんの方々に親切にしていただいたり、声をかけていただきました。

《日刀保たたら》その2 ー神か? 魔物か?ー

2016年2月6日 島根県奥出雲町にて

「日刀保たたら」操業を見学2日目。

3時半起床。4時過ぎに宿を出る。宿の主人とも会わぬままチェックアウト。

小雪の舞う真っ暗な道をレンタカーを走らせた。

3日3晩の操業を終え4日目の朝。DSCF2007.JPG

いよいよ鉧 (けらーたたらによってできた鉄塊) 出しだ。

他の見学者はグループだが 私は単独。心許なく待って居ると、昨日話をしたスタッフの方が声をかけてくださった。

「帽子とかあります? 鉧出しは埃で大変ですよ。良かったらこれ差しあげますよ。」とタオルを差し出してくれた。

あっそっか!! それでみんなビニール合羽着てるんだ。それなら私も持っています!!

ご忠告ありがとうございますと合羽を着てマスクもして、準備万端。高殿 (たかどの) へ。

背がちっさいから 一番前に行かないと見えなくなる。

最初に陣取った場所は人に押し出されてしまったけど、最前列は死守 (笑)

鉧は3日3晩かけて1時間に1センチ、ゆっくりゆっくりと成長してきたそうだ。

これから炉を壊していくのだ。

木呂管 (風の吹き込み口) をはずし、炉の下をつついていく。

さぁいよいよ、壁を壊そうという時「グラリ」と壁が内側に倒れてしまった。かなり珍しい状況だったようだ。

反対側は着実に壁が壊されていく。

「1、2の3!!」

手鉤のような道具を使って渾身の力を込めて少しずつ。

すでに鞴 (ふいご) は止まっているから燃え盛る火ではない。

それでも炉内は赤々とし、炉壁が壊されるごとに熱が強くなる。

炉壁全てが 外されると無事操業が終わった事を金屋子様に感謝し、お神酒が振る舞われ一旦解散となった。

ふと木原村下 (むらげ) と眼が合ったように感じた。

ずっと憧れだった たたら。

その踊る火と会話をしていた村下。

ありったけの勇気を出してただ言えたのは

日新製鋼のMさんに紹介していただいた古屋です。素晴らしかったです。ありがとうございます。」

それ以上何も言えなかったし、言ってしまった瞬間に後悔した。

この方に自己紹介なんて、ただたたらの神様の視界に入りたいという利己的欲求でしかない。

なんともばつが悪かった。

でも木原さんは静かに「Mさんのね。日新製鋼のMさんね。」覚えていてくださったようだ。

もう、私には感動を伝える術がなかった。

たたらという偉大な知恵、技術、歴史、その操業を執り行い伝承する方...全ての重みに耐えかねた。

言葉など出てこない。

もし、操業を見る前だったら きっともう少し気の利いた事言えたはずなのに (>_<) 完全に圧倒されていた。

次から次へと重鎮らしき人が 木原村下に挨拶に来る。私はモジモジと後ずさった。

「そもそもさ。私にはこの方に対する労いの言葉なんて持ち合わせてないのよ。

手放しで感動だけを伝えるには 鉄の苦労を知り過ぎているし、わかったような事を言える程の知識は無いんだもん。」

結局「まっいっか。」と開き直って再び 高殿の独特な雰囲気を満喫した。

高殿には残された火は舞い疲れ、静かな眠りにつこうとしているかのようだ。DSCF2015.JPG              《待ち時間に。高殿から立ち上る煙に朝日があたっていた》

2時間後、再び高殿に戻った。いよいよ取り出しだ。

赤々としていた 鉧は色を失い静かに灰色になっている。

巨大な鉧の下手側が少し持ち上げられた。

鉧の下の木炭はまだ冷めずに金色だった。ほの暗い高殿に金色の光がこぼれた。

それはまるで地球の蓋を開けて マグマを覗いたかのようだった。鉧から裏側に付いていたであろう木炭の粉 (かな?) が金色の雨のように降る。

美しい...。 

極太チェーンをかけ、そのチェーンは隣の建て屋から伸びたワイヤーに繋がれ 合図と共に引かれ始める。

重い身体を持ち上げ丸太をコロにしてゾロリゾロリと引かれていく。

鯨が海から陸に上がろうとしているように。

丸太の焦げる臭いが立ち込める中、下面が真っ赤で熱気と緊張感を帯びたその物体は例えようの無い存在感だった。

神か? 魔物か? 巨神兵か?

その姿も 情景も 尋常ではなかった。

じりじりと炉から抜け出る鉧と共に自分の魂も持っていかれるような錯覚に陥った。

これが火と人の3日3晩の結晶なんだ!!

目が点&マスクの下で お口ポッカ〜ン状態だった (・0・)

地球の蓋のような、神の化身のような、

魔物のような、

けらは薄暗い高殿を出て明るい日差しにさらされた。

まだ所々が赤い。

鉧は綺麗な鉄の塊ではない。砂鉄が木炭の間を溶け下って固まった物だから、雷おこしのようにツブツブしている。DSCF2021.JPGこれから充分に冷まされて、数ヶ月かけて粉砕されていく。

全てが玉鋼なわけではない。場所によって成分は異なるので、それぞれに分けられる。

玉鋼だけでも8つの等級がある。

玉鋼以外の部分は鍛冶用、鋳物用に分けられる。

単純に日本刀となる玉鋼を作ると考えたら 本当に効率悪いよなぁと 考えていたら、

「たたらで作られる鉄はこうして、部位毎に日本刀にも農具にも姿を変えました。それがたたらが農民にの協力を得られた要因でしょうね。」とKさんに説明していただいて納得。

もっともっとたくさんお話し聞きたかったけれど、ご迷惑だからおいとましなきゃ。

最後に工場敷地内の金屋子様に別れを告げる。

「たたら場の皆様が今後とも無事でありますように。そして私を鉄の世界の端くれに置いて下さい。

また会いに来ます。」

金屋子様はな〜んにも無反応 (当たり前だ)

沈黙は承認の記しと昔から言うしねヾ(*´∀`*)ノ゛

なお、見学中は撮影不可でした。

《日刀保たたら》その1 ー鉄の神々に会いに行くー

ひゅ〜ぅご〜ぉ〜

ひゅ〜ぅご〜ぉ〜

火は音を立て身を翻して踊っていた。

高く低く

はためき 揺らめき

強く 弱く、

呼吸をするように 身を翻す...

言葉にならない その魅惑的な舞いをただただ見つめた。

2016年2月5日

島根県奥出雲町にて「日刀保たたら」操業を見学した。

私自身も工房に小さなコークス炉を持つ。

また、何社かの製鉄所や鉄鋼関連企業さんを 訪問する機会をいただいてきた。

その度に、工場や火にはそれぞれ性格も表情も違いがあると感じてきた。

今回 今までのどれとも全く異なる その火に魅了された。DSCF2009 のコピー.jpgもちろん冒頭の《ひゅ〜ごぉ〜》という音は 鞴 (ふいご) を通して送られる風の音だし、

燃料が木炭だから、大工場のコークスやガスの火のように 強烈な火ではないという根本的な相違がある。

それら全てを総合して、火の性格は作られると思うのだ。

大きな工場では、巨大な火が機械に従えられているように見える。

それに反してこの火は生命を宿している。

呼吸をし村下 (むらげーたたらの操業責任者※1詳細は下記) と会話をし踊っている。

人間を見て人間を人間として捉え、いつでも猛威を奮える体力を持ちながら 歩み寄ってくれているように見えた。

しかし、私にはその火の言葉はまったくわからない、

...羨ましく少々悔しい。

高殿 (たたらの炉等を収める建物) 内部の床は土で固められ、完全に乾燥している。

中央に向かって台形に盛り上がり、真ん中に湯船のような形の炉、それを挟むように左右対称に天秤山が配される。(下記図を参照)

古くはこの天秤山に天秤鞴 (てんびんふいご) を置き人力で送風していたが、現在は天秤山から地下で電動鞴に繫がる。

見学した操業3日目は、上り期と呼ばれ火が高く、火だけで3メートルに達する事もある。

高殿内には神棚があり、金屋子 (かなやご) 様が祀られている。金屋子様から見て、炉の右が表、左が裏。

表裏でそれぞれに 村下が一人ずつ付く。これは切磋琢磨するための古くからの習慣のようだが、表裏には優劣は無い。(作業員・村下2名、村下代行2名、補助8〜9名)

そもそもたたら(踏鞴)とは、近代製鉄発見以前の 砂鉄を利用した製鉄方法である。

古代インドから中国、朝鮮半島を経て、弥生時代古墳時代頃 (諸説ある様子) 日本にもたらされたというが、

その起源は定かではない。

同時に日本のたたらは独自に進化し 優れた地下構造 (炉に湿気が及ばせない役割) を持つ。

室町時代に地下構造を伴わず、山の斜面で自然の風を利用した《野だたら》なる物もあったが、江戸時代頃には現在の形になり、生産性も上がりより組織的になったようだ。

だが、三日三晩かけ約10トン砂鉄と12トンの木炭から 2.5トン程の鉄塊(鉧−けら)を作るという割の悪いものである。

そのせいもあり、近代製鉄の発達とともに数を減らし、敗戦もからみ1945年に途絶えた。 (今の日本の製鉄の歩留まりは80〜90%)

しかし、日本の文化である日本刀は たたらによって作られる玉鋼 (たまはがね) からしか出来ない。

たたらが途絶え刀匠は ストックの玉鋼などを使い堪え忍んだ。(うろ覚えだが、敗戦直後日本刀生産は禁止されたはず)

しかしとうとう、1977年 32年の時を経て、たたらは再開された。554527_512970975448989_21124945_n.jpg32年という長きに渡り 再開の見通しの無いまま、技術を絶やさなかった刀匠も、技を忘れなかった村下も、

復活させた日刀保 (公益財団法人 日本美術刀剣保存協会) も、どれ程の苦労であっただろう。

そんな歴史を経て今、私の目の前で執り行われている。

湯船のような炉には 木炭がパンパンに詰まって燃えている。

「やってがっしゃい!」

さほど大きな声ではないが、聞き慣れないその言葉は、高殿の浮き世離れした気高い空気によく響いた。

それを合図に 30分毎に 燃え盛る炎に木炭と砂鉄を交互にくべる。(図①)

砂鉄は溶かされ 燃焼する木炭に埋め尽くされた炉を1時間かけて下へ下へ垂れ (図②)、炉底に溜まる (図③)

溶け下る間に木炭の炭素と砂鉄にくっついていた酸素が結合 (還元) 、更に炉底の高温により 還元が進み 鉄になる。

図中の③のラインは炉壁を溶かし成長した最終的 鉧 (けら−鉄塊のこと) の形を現す。

また溶かされた炉壁は 砂鉄と反応しノロとなる。その反応により炉底の温度は高温に達し、同時にノロには砂鉄に

含まれる不純物を排出する役目もある。EPSON004.JPGと簡単に言い切ってみたが、実は現代科学でもたたらのメカニズムは 解明されていない。

きっと解明できないだろうし、だいたいさ、科学より確かで大事なのは、村下の火と対話する力だと思うんだよね。

だって、科学って言葉が生まれる以前から村下は《知っている》んだ。

1時間程淡々と行われる投入とノロ出しの作業を見入る。

最前列で食い入るように見ていたら 日刀保 Kさんが色々と説明してくださった。

使われている道具のこと、操業の仕方、歴史。中でも、一番印象深かったのが、

「奥出雲という土地が たたらに最適だったのです。

良質の砂鉄と、木炭となる木は30〜40年で自然再生する力がありました。

更に、松江藩は厳正に鉄師を選定し 山林の使用などを統制したのです。

確かに砂鉄を採る為に幾つもの山が削られ カンナ流し (※2砂鉄の採取法詳細は下記) が行われました。

しかし、カンナ流しの水路はそのまま灌漑用水路になり、削られた土地は棚田になったのです。

奥出雲はたたらと共生してきたのですよ。」

そうだ!!

近代製鉄を勉強していた時に読んだ。

ドイツやイギリスでは製鉄の木炭のために 森が丸裸になり再生されなかった。

関係ないけど ポリネシア人はモアイ像を作る為に森を破壊し、食糧すらなくなって、

島から脱出する船を作る木さえなかったというよね。

なんと賢いんだ日本人!!!

「たたらは土地に根差した物なのです。現在も木炭も砂鉄も奥出雲産です。カンナ流しはできませんけどね。」

見学初日が終わった。また明日もう一度ここに来て良いんだ!!

嬉しくてたまらなかった。

レンタカーを走らせ少し離れた山の中の『金屋子様』に会いに行った。

ここが全国1200ある金屋子様の総本山。金屋子さまは 白鷺に乗って飛んでくるんだって。

「操業が無事でありますように。これからも私が鉄を愛する事をお許しください。」

金屋子様は女神さまだ。古くはたたら場は女人禁制だった、金屋子様が嫉妬してしまうから。

DSCF1998.JPG金屋子様は《藁で髪を縛るような器量の悪い女神》だそうだ。

私も大差ないよ。いつも溶接で穴のあいちゃったTシャツ着てるよ。

金屋子様は会えたけれど《金屋子神話民族館》は冬季閉鎖DSCF1974 のコピー.jpgものすごく残念。

(※1)村下(むらげ)

たたらの操業責任者。

文化財保護法第147条に規定された「選定保存技術」取得者、木原村下渡部村下の2名。

文化財保護法第百四十七条  

文部科学大臣は、文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術又は技能で

保存の措置を講ずる必要があるものを選定保存技術として選定することができる。

(※2)カンナ流し (鉄穴流し)

山を砕きそのまま水路に岩石を流し 粉砕し、更に下流で比重によって、土砂から砂鉄に分ける。大量の土砂が流される為 下流の農民には悪影響を及ぼす

会社ってやつは...。

12805654_986367368109345_1516053763320714429_n.jpg4月から時給10円上がるんだって \(*^▽^*) / バンザ〜イ

「10年ぶりかな?12年ぶりかな? くらいの昇給 \(*^▽^*)/ 860円だよ〜」

って言ったら

「10年ぶり?しかも低温倉庫でしょ?その会社辞めたら?」って言われた。

「低温は冷凍じゃないから手当無いの。

でも、能力給とフォークリフト手当と深夜手当ても付くよ。」

「能力給いくら?」

「....20円。

役職も 責任も 拒否してるからそれで打ち止め...。」

「あなたけっこうがんばってるよね? やっぱり辞めていいんじゃん?」

一理あるね。

でもこの会社勤めて15年目。

仕事なんて何やっても、どこかに不満は生まれるよ。

「あ!!」と言えば「うん!!!」と。

「つ〜」と言えば「か〜」と。

「ニャァ」と言えば「ピィ」

言ってくれる人達が居るんだもん。

時々喧嘩して、「ニャァ」も「ピィ」も言えなくても

目線すら合わせなくても、協力して的確に仕事をこなす。

両親と暮らした歳月18年間。

そろそろ会社の仲間との時間が追いついてきた。

正社員でもないのにこんなに長い時を過ごしてきた。

せいぜい4、5年で辞めると思ってた。

安給料を超える価値がある。

愛しちゃないけど、かけがえのない《何か》であると思うよ。

(ついでに言えば、作家活動に理解を示してくれる環境。

 きちんと有給休暇くれるし、健康診断も年2回。

 この前なんて普通の健康診断で胃カメラしてくれたよ。

 それに、一人で制作してると一日誰にも会わないとかざらなのよ。

 会社は社会に居場所も与えてくれてるの)